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私の小さなひとりごと 2019.07.01

私の小さなひとりごとJUN ペブルビーチ

ゴルフを始めるきっかけは大学二年の秋、二つ上で弓道部の先輩に

無理くり連れて行かれた宮崎外れの練習場併設のショートコース。

お前初めてやろ?これで良かろと渡されたのが年季の入った9番アイアン一本

貧乏学生時代に車のトランクからフルセットを出すところが宝塚のボンボン先輩、

30ヤードから一番長くて120yという感じの場末のパー30ミニコース。

先輩からの、ちょっとめんどくさそーに話すレクを受けてスタート。

ゴルフとは大学1年の秋、ダンロップ フェニックス トーナメントが最初の出会い、

ギャラセーとかボード持ちのバイトで世界のトッププロのプレーを間近で観た。

援団がピンハネしても、当時としてはまあまあ良いバイト代で四日間、

ただそれよりも良かったのがバレステロスやトムワトソンさんを間近で見れた事で、

特に強烈な印象だったのが私が勝手に決めた師匠、青木功さん。

飛距離がどうとか球筋がなんとかは未だ何も分からぬままだったのだが、

人を近付けないオーラとインパクトの重い重い音は今も鮮明に覚えている。

大学四年の春から3ヶ月ほどヨーロッパ彷徨から戻ってテレビで見た全米OPで

Jニクラウスさんとのバルタスロールの戦いの後、もはやゴルフ=青木功となる。

すっかり魅せられて、初任給でパターはサイレントポン、グローブは無理してでも

黒の鞣し革を購入し当然構えはハンドダウンで分かり易いド素人の出来上がり、

クラブはパワービルトが欲しかったのだが手が出ず断念したのが心残り。

ボンボン先輩に無理くり連れて行かれたゴルフだが、頭の中は青木功だから

格好だけはコピーしてるマセたド素人なので先輩は気に入らない。

スタートホールは30Yほど、まぁ相場のデビュー第一打は空振り・・じゃなく、

2m位に寄ってしまったから大変、ますます機嫌のよろしくない宝塚。

ボゴボコのグリーンを2パットでホールアウトしてデビューはパー・・と言っても

短いショートコースだけど青木功は当たり前と思ってる。

そして迎えた7番打下ろし120Y程の一番長いホール、それまでのスコアは

なり切り青木功は5オーバーで、ボンより3〜4打良かったからもう爆発寸前。

直感で思った・・コレだと届かんなー、しかしボンに他のクラブ貸してとはとても言えず、

ふと青木功さんの強烈フックボール思い出し、面を被せてフック強く打てば飛ぶかな・・と。

卓球のドライブを参考に、右の崖の方を向いて人生初めてのフックボールを打ったのが

左の土手にキックしてグリーンオンしたからさあ大変。

「お前初めてやないんやろー」ってまぁー怒る怒るボンボン

ボン42で青木功36、パー30で6打もオーバーかって言ったもんだから・・

2019年の全米オープンがペブルビーチ開催と知って心がざわざわしたのが

春のペブルビーチプロアマをテレビで観た時、勝ったミケルソンも初めて日本来たのが

フェニックストーナメント、当時はまだ殆ど知られてなかったようだが・・

偶々、大学生でPGAに勝ったのを知ってたのでサインもらったのも今では

良い思い出になってるのと、これも何かの縁・・とこじつけ。

ペブルビーチのあるモントレー湾界隈ら有数のリゾート地で前から住宅含めて

観ておきたいなと思っていた事もあり、この際にと何とかスケジュールを調整し

サンフランシスコまでのエアと観戦チケット、ホテルにレンタカーを予約。

帰りにホノルルのアバサスパへ寄らないといけないのと、カナダのブッチャードガーデンと

シアトルの開発案件も観に行くとなると13日からの本戦はどうにも予定出来ず、

12日最終練習日しかなくプロキャディの杉澤氏へ12日会えたらとメール。

数えてみると今年13回目の海外はちょっとハードスケだけどペブルビーチ、

サンフランシスコ空港からニッサンのピックアップでサンタクルーズまで真っ直ぐ南へ走る、

ハワイとはまた違った空気感、海岸線の景観で風が肌寒い。

12日朝、6時少し過ぎにホテルを出てパブリックパーキングへ60㎞走る、

広大なパーキングには、まだ30〜40台位で3列目に停められてついてる、

シャトルバスに揺られる事約40分、車で5時間かけて来た隣りのオッチャンの

松山や今平の事とか質問で寝れず仕舞いで霧のペブルビーチに降り立った。

ひと通りコース頭に入れて、ショップ覗いて朝ご飯はハンバーガーとコーラ、

1番ティーから練習グリーン観て、何と言ってもペブルビーチと言えば18番へ、

スロープを下って行くと海から冷たい風が吹き霧が海岸線の丘を舐め登って来た。

18→17→5→6番と入江に沿って進むと霧がだんだん深くなって来た、

ぼんやり霞み、海岸線が見え隠れする中ポールターのティーの音が聞こえた、

6番セカンド地点に着いて見るグリーン前の丘は緑の壁だった、

グリーン面もフラッグも見えず緑の壁と右に断崖、波頭が目に飛び込んで来る、

240〜250Y右も左もダメ、ポールターはIRONでグリーン手前へ運んだ。

たった109yしか無い7番ショートに着いた時、松山くんの組に合流した、

何というか・・グリーンは霧と海にぼんやり浮かぶ、ちいちゃな緑の座布団

スイング形はそれぞれだが、とにかく誰も早くも強くも振らない、

松山くんも調子は悪くなさそうだが・・シャフリーが良い感じ

霧でぼんやりの8番セカンド地点から断崖横のスロープ下りると斜めのグリーン、

ここで杉澤氏とクルーの皆さんと合流、9番グリーンまで歩きながら雑談。

と、青木会長来られました、と教えてもらいながら何となく合流、

勝手に師匠と呼んでいた学生の頃からの青木功先生も交えしばしの雑談、

そんな昔まだ生まれてねーよって青木節聞きながら、

ラリーネルソンとのプレーオフなど話しかけると少しニッコリ

オメー若く見えるなー、だとも。

今風のプロのサインでもと買ったフラッグには、青木師匠と杉ちゃん2人のサイン。

40年ほど前に強烈なインパクトで虜にしてくれた青木師匠、

初めてのショートコースデビューから何度かショートコースを回ってから、

約1年後本コースデビューまで青木功監修の雑誌の薄い別冊だけがバイブルだった、

ぽい仕草やルールにマナーも師匠は青木功さん、

デビュースコア96が良いのか悪いのかはわからないが、

パターとショートゲームはその時の師匠の教えが私の支え。

社会人になった時、欲しかったクラブはパワービルト、

当時、青木師匠は国際興業所属でパワービルトの輸入元は国際興業だったと記憶

国際興業と言えば小佐野賢治さんで、師匠も親父同様と慕っていたらしい、

その小佐野賢治さんと関係の深いロイヤルハワイアンに私も関わって18年、

何かの縁でペブルビーチの地へ向かい

杉ちゃんのお蔭で青木師匠とも会えた旅

2019JUN
PEBBLE BEACH

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